竹島についての調べてみた
どうもあかさです。
先日ペアワークを韓国人の女の子としていて、その子が韓国の地図を書き出し、その際にサラッと独島(竹島)を書いたのでイラっときました。笑
竹島がどちらの国かはさておき、サラッと言われたことに驚きました笑
数ヶ月前に冗談でそれに関して話した際、韓国人が切れた話覚えてますか?それ以来そのことは避けていたんですが、今回このことがあったので竹島について韓国外務省の見解を読んでまとめてきました!
日本語でも読めるので興味のある方は是非!
512 鬱陵島 干山(独島)は干山国の地。
『東国文献備考』
1454 鬱陵島 干山 は江原道の島。
『世宗実録』
1625 江戸幕府が鳥取藩の町民、大谷・村川に竹島(鬱陵島)の渡海を許可。
『鬱陵郡庁』
1693 安龍福拉致事件:鬱陵島にて漁業を行なっていた朝鮮人が大谷・村川の両家の船頭に日本に連れ去られた事件。これにより日朝間で鬱陵島の領有権を争い始める。
『粛宗実録』
1694 鬱陵島に官史を定期的に派遣するようになった。
『鬱陵郡庁』
1695 鳥取藩は江戸幕府に対し竹島(鬱陵島)と松島(竹島)は鳥取藩に付属しないと回答。
『鳥取藩の回答書』
1770朝鮮21代国王によると、干山(独島)と鬱陵島は干山国であると、干山とは日本がいう松島(竹島)である。
『東国文献備考』
1870日本外務省が竹島(鬱陵島)と松島(竹島)が朝鮮付属になった事情に関して報告書が提出される。
=当時の日本外務省はこの二つの島が朝鮮のものと認識していたのでは?
『朝鮮国交際始末内探書』
1877 明治政府の太政官が内務省宛に鬱陵島と独島は日本と関係ないと指示。
『太政官指令』
1900大韓帝国の皇帝が鬱陵島を鬱島に改名とともに石島(竹島)鬱島管轄と明らかにした。
『勅令第41号』
1905 独島を自国領土との告示(島根県の一部とした)
『島根県告示第40号』
1906 3月 鬱島郡守が島根県視察団により独島を自国編入した主旨を受けたこと関する報告書。その際に独島は鬱島の管轄としている。
同年5月 大韓帝国の最高機関によって、独島の日本編入を否認する指令。
『報告書及び指令第3号』
1946 1月 終戦後、日本から独島を切り離した覚書。連合国最高司令官はSCAPINによって日本の領域から独島等の島は除外されるとしている。
同年6月 SCAPINによって日本の国民及び船舶は独島周辺12里以内の接近を禁じられている。
SCAPIN第677号関連地図
1951 サンフランシスコ平和条約の第2条(a)にて「日本は韓国の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む韓国に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定されている。済州島、巨文島及び鬱陵島という表現は韓国の三千あまりの島々の例のため、独島と直接明記されてないからといって、独島が韓国領土に含まれていないというわけではない。
というわけです。笑
ちなみに日本外務省の見解も読みました。
韓国の見解:鬱島は韓国のものであり、独島は鬱島に属すると昔からされてるため独島は韓国領土である。
日本の見解:かつてから独島は鬱島とされてた形跡はなく、サンフランシスコ平和条約にも含まれていない。かつその後のアメリカも独島が韓国のものだった形跡ではないとしている。その為、独島は日本のものである。
サンフランシスコ平和条約以降に関して韓国外務省の見解を見つけることが出来ず、日本外務省が指摘する件に関して、真実を知りたいなって思いがあります。
日本人の僕としてはやっぱり竹島は自国という意識がありますが、韓国人からするとまたそのよう意識なのでしょう。
竹島問題に関して韓国人は日本人より敏感な節があるので直接的に話をするのに躊躇いがあります。友達を失うレベルなんではないでしょうか。笑
韓国人と友好関係を築く際に歴史関係の話題は避けるべきとよく言われますが、それでは本当の友好関係を築くのは難しいのではと少し思います。
彼女及びイギリスでの親友、どちらも韓国人ですがこの話題はまだ話すことに踏み切れていません。特に親友に関しては本当に信頼しておりなんでも話せるのですが、それでも言い出せないくらい、韓国人は怖いです。笑
いつか韓国人の本当の意見、及び日本の主張に対する回答などを聞けたらなって思います。帰国寸前に聞いてなんか起こったらさっさと帰国します。笑
ではまた。